先日も、地鎮祭に参加させていただきました。
ありがとうございました。
お礼申し上げます。
場所は、大阪府阪南市の緑ヶ丘の分譲地です。
秋とは言え、真夏の日差しの中で汗タラタラでした。
あまりにも暑いので、テントのすそもあげて風を通らせていただきました。
気持ち良い風で、爽やかですがすがしい地鎮祭になりました。
ご近所様には大変うるさく、ご迷惑もおかけするかも
わかりませんがお若いご夫婦の夢の我が家の建設に
ご協力をよろしくお願いいたします。
今回のご祭主、『波太神社』さまにもお世話になりました。
阪南市での着工時の地鎮祭では、毎回のようにお世話になっております。
神官様にもおなじみになりましたので、お気軽に話してくださいます。
この日も、だんじり祭りの様子や過去の事などお聞きしました。
ありがとうございました。
今後も、着工が続いていきます。
また工事状況もご案内させていただきま~~す。
—-波太(はた)神社-------------------------—-
祭神:角凝命・應神天皇
往古の阪南市一帯は国有地。垂仁天皇の側近であった天湯河板挙命
が、天皇より恩地として与えられた地(畑村)に神社を建立し、
地区名より畑宮・波太宮(はたのみや)と名づけられた。
初めは角凝命を池のほとりに祀った小さな神社であった。
現在の地に移転、鳥取の八幡宮を合祀し、応神天皇を祀るころより
「波太八幡宮」の名で呼ばれる。
神功皇后、武内宿彌、天湯河板挙命を祀るにあたり次第に整備され、
「波太神社」と称するようになる。
波太神社の左にある鳥取神社は寺社併合の際、阪南市内の寺社を次々
と合祀する。元は山中に存在した馬目王子神社で、八王子山の八王子神社、
山中渓の山中神社が合祀されてある。
山中神社は熊野詣での人々が健脚い参拝されており、足神様と呼ばれていた。
参道の途中、右手にあるのは市杵島姫命を祀る市杵島神社で安産の神様として人々に親しまれる。
太古より府下では最大級の神社として知られ、織田信長の信仰も厚かった。
熊野古道沿いにある大鳥居は熊野詣の際、神社に寄らなくても参拝できるように
と、信長が地元民に命じて造らせたものである。
この鳥居は波太神社大鳥居、拝殿を一直線に結ぶよう建てられてある。
信長公は紀州雑賀討伐の際に、波太神社に本陣を置いている。
波太神社は二度の焼き討ちを経験。信長亡き後、太閤豊臣秀吉は波太神社
を根来方とみなし焼き討ちを命じた。息子の豊臣秀頼が「父親の悪行を全て
償う」と再建を約束。建造されるが、江戸幕府の制定後、波太神社は豊臣方
とみなされ、家康の命により焼き討ちされた。
その後、波太神社は徳川家に誤解をとかれ、再建の許しを得る。
再建中は幾度となく雷火による火災にあい、再建はままならなかったが、
寛永十五年に完成され今日に至る。
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